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東京地方裁判所八王子支部 平成2年(わ)151号 判決 1992年3月16日

主文

被告人を懲役一年八月に処する。

未決勾留日数中六〇日を右刑に算入する。

本件公訴事実中、三〇口径トカレフ自動装填式けん銃一丁及びその実包二発を所持したとの点につき、被告人は無罪。

理由

(罪となるべき事実)

被告人は、法定の除外事由がないのに、昭和六三年一二月二日ころ、栃木県下都賀郡<番地略>○○総業事務所において、覚せい剤であるフェニルメチルアミノプロパンを含有する結晶約0.02グラムの水溶液若干量を自己の左下腿部に注射し、もって、覚せい剤を使用したものである。

(証拠の標目)<省略>

(累犯前科)

被告人は、

(1)  昭和五九年二月一五日札幌地方裁判所において大麻取締法違反、覚せい剤取締法違反罪により懲役二年二月に処せられ、同六一年二月一四日右刑の執行を受け終わり、

(2)  右の仮出獄中に犯した覚せい剤取締法違反罪により同六一年四月二一日札幌地方裁判所室蘭支部において懲役一年四月に処せられ、同六二年八月一日右刑の執行を受け終わった

ものであり、右各事実は、検察事務官作成の前科調書(昭和六三年一二月一二日付け)及び右(2)の調書判決謄本により認める。

(法令の適用)

被告人の判示所為は、覚せい剤取締法四一条の二第一項三号、一九条に該当するところ、前記の累犯前科があるので刑法五六条一項、五七条により再犯の加重をした刑期の範囲内で被告人を懲役一年八月に処し、刑法二一条を適用して未決勾留日数中六〇日を右刑に算入する。

(量刑の理由)

本件は、暴力団組長である被告人が覚せい剤を自己使用したという事案であるが、被告人は、昭和五九年二月札幌地方裁判所で覚せい剤の自己使用二回と大麻の所持の罪により懲役二年二月に処せられ、同六〇年一二月仮出獄となったのに、その仮出獄期間が満了する直前の同六一年二月にも覚せい剤を自己使用して、同年四月札幌地方裁判所室蘭支部で懲役一年四月に処せられており、その都度薬物を使用することのないようにきつく戒められるとともに、被告人自身でも覚せい剤を使用した者を破門する旨の掟を自書して事務所に掲げていたが、結局、その効もなく、前刑終了後一年有余にして本件の覚せい剤使用の再犯に及ぶなどしていたのであり、被告人は傷害事件で初等少年院に送致されて以降、暴力団員特有の前科前歴多数を重ねていることなどを考え合わせると、被告人の薬物に対する親和性は根強く、かつ、法規無視の態度も顕著と言わざるを得ないのであり、そうすると本件の被告人の刑事責任は重く、被告人が現在では深く反省し二度と覚せい剤を使用しない旨誓約していることなどの諸事情を考慮しても、主文程度の刑はやむを得ない。

(一部無罪の理由)

一  公訴事実

(主位的訴因)

被告人は、法定の除外事由がないのに、平成元年一月一二日、栃木県下都賀郡<番地略>○○総業事務所敷地内において、三〇口径トカレフ自動装填式けん銃一丁及びその実包二発を所持した。

(予備的訴因)

被告人は、Aらと共謀の上、法定の除外事由がないのに、平成元年一月一一日から同月一二日までの間、栃木県下都賀郡<番地略>甲方及び同町<番地略>○○総業事務所敷地内において、三〇口径トカレフ自動装填式けん銃一丁及びその実包二発を所持した。

二 当裁判所の判断

1  認定事実

差戻し後の当審における被告人の当公判廷における供述並びに証人井上眞、同A2、同甲2、同門上千恵子、同手島廣一、同穐山哲夫、同N及び同染野敬の当公判廷における各供述、差戻し後の当審第二回公判調書中の証人Zの供述部分、同第四回及び第五回公判調書中の各証人Aの供述部分、同第七回公判調書中の被告人の供述部分、同第八回公判調書中の証人井上眞の供述部分、証人M及び同Aに対する差戻し後の当審裁判所の尋問調書、控訴審の第一回公判調書中の証人髙山祥治の供述部分、同第二回公判調書中の証人Aの供述部分、同第三回公判調書中の証人井上眞の供述部分、同第四回公判調書中の証人Yの供述部分、同第四ないし第六回公判調書中の各被告人の供述部分、同第六回公判調書中の証人Uの供述部分、Uの検察官に対する供述調書、被告人作成の答申書、A作成の回答書、差戻し後の当審の検証調書、武蔵野簡易裁判所裁判官作成の逮捕状及び捜索差押許可状、東京地方裁判所八王子支部裁判官作成の勾留状、接見等禁止決定書(謄本)及び調書判決謄本、東京地方裁判所八王子支部書記官作成の勾留質問調書(二通)、司法警察員作成の現行犯人逮捕手続書、捜索差押調書、捜索差押許可状請求書、「清酒(越乃寒梅)の返還について」と題する書面、写真撮影報告書(平成元年一月一八日付け)、押収してあるけん銃一丁(平成二年押第三三号の1)、実包二発(同号の2)、サランラップ二枚(同号の3、5)、銀紙二枚(同号の4)、タオル一枚(同号の6)、ビニール袋一枚(同号の7)、ベニヤ板三枚(同号の8ないし10)その他差戻し前の原審一件記録によれば、本件の捜査経過並びに本件けん銃等の所持状況等について、次のとおり認定できる。

(一)  (被告人の身上、経歴等)

被告人は、昭和三四年ころ上京して浅草を本拠地とする暴力団松葉会橋本一派橋本時雄の若衆となり、同四三年ころから甲組長を名乗って茨城県古河市に本拠地を設けた。現在、甲組は清心会本部に名称を変え、栃木県下都賀郡<番地略>に○○総業事務所の名前で組事務所(以下、「○○総業事務所。」という。)をおき、配下組員は約二〇名おり、常時組員一、二名が右事務所で電話番などをして待機している。

また、被告人は、不動産業や金融業を営む有限会社O商を設立して、その代表取締役となり、地方の商店主らで組織する親睦団体の二十日会の会長をしている(なお、同会は、警察から被告人を支援する不穏団体とみられたため、本件公判中の平成元年一二月二〇日解散届を警察署に提出した。)。

被告人には、昭和五九年二月大麻取締法違反及び覚せい剤取締法違反の罪により懲役二年二月に、同六一年四月覚せい剤取締法違反罪により懲役一年四月に処せられた前科があるほか、銃砲刀剣類所持等取締法違反(日本刀や猟銃の不法所持)等の前科九犯がある。

(二)  (武蔵野警察署での本件捜査班の編成など)

警視庁武蔵野警察署防犯課課長代理警部E(以下、「E課長代理」という。)は、同課内で少年事件の係と保安係とを担当しており、保安係には髙山祥治巡査部長、Y巡査、的場一彦巡査(以下、「髙山巡査部長」「Y巡査」「的場巡査」という。)のほか、風俗営業や銃刀法の許可事務を取り扱う勤務員二名がおり、E課長代理はその保安係の全般的な捜査指揮等をしていた。

(三)  (被告人検挙の端緒)

E課長代理は、Sを覚せい剤の所持と使用の容疑で取り調べたところ、同人は容疑事実を認め、その覚せい剤の入手状況について、「昭和六三年一〇月二日午前三時一〇分ころ○○総業事務所で被告人から覚せい剤約五グラムを代価五万五〇〇〇円で譲り受け、その際被告人に覚せい剤約0.2グラムを無償で譲り渡している。」旨供述した。

そこで、E課長代理は、その後の捜査を継続して被告人を検挙することにし、同年一二月六日、右Sに対する覚せい剤の有償譲り渡し及び同人からの覚せい剤の無償譲り受けを被疑事実として、被告人の逮捕状の発付を請求し、即日、武蔵野簡易裁判所裁判官からその発付を得た。

(四)  (被告人の逮捕)

E課長代理は、右の逮捕状により、同月一〇日午前一〇時五〇分栃木県下都賀郡<番地略>の有限会社O商事務所で被告人を逮捕し、同日午後一時四〇分東京都武蔵野市の警視庁武蔵野警察署に引致した。

被告人は、逮捕容疑事実について、「事実は大体そのとおり間違いないが、自分は仲介しただけであり、Sに渡した覚せい剤の量は一グラム弱で、その代金も一万円であった。」旨弁解し、同月一三日勾留(接見禁止処分付き)されるとともに、Sが武蔵野警察署留置場に勾留されていたことから、被告人は田無警察署留置場に嘱託留置となり、引き続きE課長代理ら武蔵野警察署警察官や右事件の捜査担当の手島廣一東京地方検察庁八王子支部検察官事務取扱副検事(以下、「手島副検事」という。)が被告人の取調べにあたったが、被告人とSの供述が一致せず、他方、被告人の尿中から覚せい剤が検出されたことから、E課長代理は、手島副検事の指示に従い、覚せい剤使用の容疑事実に切り替えて被告人に対する捜査を継続することにし、同月二一日被告人は処分保留のまま釈放された。

(五)  (被告人の再逮捕)

被告人は、右の逮捕当日である同月一〇日午後二時二〇分ころ武蔵野警察署三階男子便所で尿を採取して提出したが、同月一六日その尿中から覚せい剤が検出されたとの鑑定結果が出た。

そこで、E課長代理は、同月一九日、「被告人は、法定の除外事由がないのに、昭和六三年一二月四日ころから同月一〇日までの間、栃木県内若しくは近県において、覚せい剤若干量を身体に使用した。」との被疑事実により逮捕状の発付を請求し、即日、武蔵野簡易裁判所裁判官からその逮捕状の発付を得て、同月二一日被告人を再逮捕した。翌二二日、被告人は、右の再逮捕にかかる被疑事実について、「(最初の逮捕容疑事実の一つであった)Sから譲り受けた二、三回分の覚せい剤を使用しているが、その使用の最後として、同月二日午前四時三〇分ころ○○総業事務所二階で覚せい剤約0.02グラムを約0.25立方センチメートルの水に溶かして自己の左足首の静脈に注射している。」旨供述し、その供述調書の作成に応じ、同月二三日右自供にかかる被疑事実(ただし、犯行日は「同月二日ころから同月一〇日ころまでの間の午前四時三〇分ころ」とする。)により勾留(勾留場所は武蔵野警察署留置場)され、その間被告人はY巡査に対し覚せい剤を使用したのは逮捕される二〇日位前である旨述べたりもしたが、同月二六日の手島副検事の取調べに対しては、同月二二日武蔵野警察署でしたと同様の供述(ただし、注射した部位を左足の足首よりやや上の下腿部の内側部分の静脈と修正。)を維持して、同月二七日同事実について公訴を提起された。なお、被告人は、右取調べに際し手島副検事に保釈方を依頼したが、同副検事からはこれを断られている。

(六)  (けん銃所持事件の発生経過)

被告人は、前記のとおり、配下組員約二〇名を擁する暴力団組長であり、上部団体の松葉会として覚せい剤を取り扱うことを厳禁しており、被告人自身でも覚せい剤を使用した者は破門する旨の掟を自書して○○総業事務所内に掲げていたため、自己が覚せい剤取締法違反容疑で逮捕されたことが周囲の者に明らかになると示しがつかなくなることを危惧し、覚せい剤譲渡等被疑事件による逮捕当初からE課長代理に対し、「覚せい剤事件で検挙されたことは他言しないで、けん銃の事件で逮捕されたことにして欲しい。」旨頼み込み、また、同月一八日ころY巡査から自己の尿中に覚せい剤が検出されたと知らされた折にも、同巡査に対して、「けん銃を出すので、覚せい剤使用事件を不問に付して貰えないか。」といった話を持ちかけており、そのけん銃の話は、同巡査がE課長代理に取り次ぎ、これをE課長代理は手島副検事に伝えたが、手島副検事から被疑者と取り引きはしないようにとの注意を受け、E課長代理は、前記のとおり覚せい剤使用事件による再逮捕に着手した。

被告人は、再逮捕後間もなく武蔵野警察署に面会に来た二十日会副会長Nに自己の弁護人の選任方を依頼し、Nは、E課長代理らから、弁護人としては門上千恵子弁護士が良いと言って、その名前と事務所の電話番号を教えられ、同弁護士事務所に被告人の弁護を依頼する旨の電話をした。

門上弁護士は、その翌日ころ武蔵野警察署を訪れて被告人と面会して被告人の私選弁護を引き受け、同月二四日弁護人選任届を提出したが、その折被告人は、門上弁護人にも覚せい剤事件で逮捕されたことは内密にすることと保釈方を依頼した。

門上弁護人は、同月二七日、被告人の覚せい剤使用事件が公訴提起されると共に直ちに保釈請求をし、翌二八日被告人の妻らに保釈金として五〇〇万円を用意させるなどして保釈許可となった場合に備えたが、手島副検事からは、「被告人は、暴力団出羽一家内において最高実力者であり、本件覚せい剤事犯により組からの破門も考慮されることから、組への対応から被告人が隠匿するけん銃を捜査機関に提出することを仄めかしており、余罪としてのけん銃の提出を条件に保釈釈放を意図しておれば問題であって、今後の公正な余罪捜査に支障をきたす虞れが大である。」などとして、保釈は不相当であるとの意見が出され、同日保釈請求は却下された。

E課長代理は、被告人が覚せい剤使用事件で起訴された後も、拘置所に移監せずに武蔵野警察署留置場に被告人を留め置いて、課員に余罪の取調べ或いは情報収集にあたらせた。

被告人は、翌年一月一〇日午前と午後の二回にわたり門上弁護人と面会したが、その折に同弁護人から、「けん銃の余罪があるために保釈が却下された。けん銃があるのなら出すようにしなさい。出せば、保釈はすぐきく。その場合は自首調書を作って貰いなさい。」などと説明され、一方、E課長代理からも、常々、「けん銃があれば、出してくれないか。けん銃を出しても罰金で済む場合があるし、自ら出すのであれば、起訴された覚せい剤事件と一足す一が二となるようなことは絶対ない。けん銃を出せば、覚せい剤使用が起訴となっても、けん銃の方が表面に出て、覚せい剤使用は十分の一の対象にしかならない。検事とも話ができており、保釈も大事(大丈夫)だ。自分自身で出すので自首となり、刑もかなり短縮されるし、覚せい剤事件の刑も軽くなって、早く処分も決まるだろう。」などと説得されており、後記のとおりE課長代理からは自分の取り扱いについて破格の優遇を得ていたこともあって、実母の危篤などの家庭事情等から早期の保釈を希望していた被告人は、けん銃をE課長代理に差し出す気持ちとなり、自らはけん銃を所持していなかったことから、住吉連合会親和会栃木一家Tに所属し自己の舎弟分であるA(以下、「A」という。)にけん銃を調達させることにし、その趣旨を門上弁護人に伝え、同弁護人は、E課長代理に対し、「本人がけん銃を出すと言うので自首調書を作って貰いたい。けん銃は任意提出の形にしたい。向こうの組の者が知っている者に持って来させると言っている。それが違反になるのであれば、私が持って来ても良い。」などと言って、被告人の話を取り次いだ。被告人自らも、E課長代理に対し、同様の話をして、Aに面会に来るように連絡をとって貰うことにした。

そこで、E課長代理は、手島副検事に電話をかけて被告人からの申し出を伝えたところ、同副検事から、「けん銃提出の信憑性を担保する意味からも、被告人に上申書を作成させ、それに基づいて捜索差押許可状の発付を得て、被告人を連れて行き、被告人の指示した場所からけん銃が発見されたらそこで被告人を現行犯逮捕するようにしなさい。」「けん銃事件の捜査は正検事が担当する。」旨の指示・連絡があり、E課長代理がこれを被告人に伝えたところ、被告人は、けん銃の提出が、任意ではなく強制捜査の形になり、しかも担当検事が変更するというのでは、これまでのE課長代理の話と違うと考えて、不信感を抱き、その後はけん銃を出すようにとの話に応ずることを強く渋っていたが、翌一一日Aが被告人の面会に訪れた折、E課長代理の指示により武蔵野警察署保安係取調室で二人きりにさせて貰えたことから、被告人はAに対し、「保釈の対象になる話なので、けん銃を一丁都合して貰えないか。都合がついたら、それを何処に隠したのかを保安課に電話を入れて報告して欲しい。」旨頼み、Aもこれを了承した。なお、その際、けん銃を隠匿する場所等については、E課長代理ら警察官から、「被告人を逮捕に行った際に捜索令状で○○総業事務所内は捜索している。部屋の中じゃなくて、表にどこか穴を掘って埋めといてくれ。」などの示唆があり、被告人は、Aに対し、○○総業事務所の庭先の大谷石の下に隠すよう指示し、そのけん銃の入手先については、その場にいた警察官の一人が、「死んだ人間を使えばいい。」と言ったこともあって、Aの発案で既に死亡している東京盛代藤平連合四代目総長Dにすることになった。

(七)  (けん銃等の隠匿)

Aは、被告人の指示に従って、その日のうちにけん銃一丁とその実包二発を入手したが、そのけん銃の形式等が分からなかったことから、いわゆるガンマニアの知人Mを栃木県小山市内の自宅に呼んで、同人にそのけん銃を見せたところ、ソ連軍用けん銃のトカレフであると教えられた。Aは、その後自宅で実包は一つずつアルミホイルで包み、けん銃ともどもサランラップで蔽い、更にこれらをタオルで包んだ後、家庭用の黒色ビニール袋に入れるなどして準備をし、妻A2と一緒に自家用自動車で自宅を出て、途中で翌一二日午前一時半過ぎころ○○総業事務所近くのスナック「寿」に立ち寄って、同店経営者Uから園芸用小型シャベルを借り出して、○○総業事務所へ行き同事務所庭先の踏み石の大谷石の下に穴を掘るなどして、そこに準備してきた黒色ビニール袋の中に入っているけん銃等を入れ、板で蓋をするなどして隠した後、同日午前二時すぎころ武蔵野警察署に電話をしたがY巡査が不在であったため、再度同日午前八時ころ武蔵野警察署に電話をして、応対に出た保安係の警察官に対し、その旨を話した。

(八)  (右けん銃等所持事実による被告人の現行犯人逮捕)

被告人は、同日午前九時すぎころいつものように取調べのため武蔵野警察署保安係取調室に入れられ、同係警察官よりAから右の電話連絡があったことを告げられ、警察官からその文言などについての指導を受けながら、「服役するに当たって、更生のために不用品であり、留守中若衆に利用されたり他の者に発見され利用されたら困るので、○○総業事務所の敷地内に穴を掘って隠してある東京盛代藤平四代目Dから貰い受けたけん銃を差し出すことにする。このけん銃は私自ら自供して提出するものなので処分については寛大にして欲しい。」旨の答申書を作成し、これを受け取ったE課長代理は、直ちに右けん銃等の捜索差押の許可を求める令状請求の手続きを取り、武蔵野簡易裁判所裁判官から捜索差押許可状の発付を得て、同日午後三時ころ被告人を同行して武蔵野警察署を出発し、○○総業事務所に到着するとすぐに右捜索差押許可状に基づく捜索を開始し、同日午後五時一〇分ころ同事務所縁側の敷石(大谷石)の下からAが隠匿しておいた黒色ビニール袋に入ったけん銃一丁と実包二発を被告人と一緒に捜し出し、その場で被告人を銃砲刀剣類所持等取締法違反、火薬類取締法違反の現行犯人として逮捕した。

(九)  (右けん銃等所持事実に対する被告人のその後の対応状況)

被告人は、翌一三日、Y巡査に対し、「本件けん銃等は、昭和六二年一一月五日午後一一時ころDから貰い、翌日午前三時ころ○○総業事務所の敷地の敷石の下に穴を掘って埋めた。」旨供述し、その供述調書の作成に応じ、昭和六四年一月一四日の東京地方裁判所八王子支部裁判官による勾留質問の際も、被告人は、「自ら提出する気持ちになったものです。」と述べ、引き続き勾留(武蔵野警察署留置場に留置)され、同月二〇日、加澤正樹東京地方検察庁八王子支部検事から取り調べを受けた際にも、「けん銃等を隠し持っていたことは間違いない。その事情は警察で話したとおりであり、捜査官との間で処分、処遇等について有利な取り計らいを受けるといった取り引きはしていない。」旨供述し、その供述調書の作成に応じ、同月二四日、Y巡査がけん銃等の鑑定結果に基づく従前とほぼ同様の被告人の供述調書(被疑者供述調書)を作成して、同月三〇日、前掲の主位的訴因の事実により公訴が提起された。

そこで、門上弁護人は、同年二月三日被告人の保釈を請求したが、検察官からは、「本件けん銃等の入手経路についても死亡した者の名を挙げる暴力団特有の曖昧な供述をしており、罪証隠滅のおそれ、関係者威迫のおそれがある。」などとして、保釈は不相当であり却下すべきものと思料するとの意見が出され、保釈請求は却下された。

被告人は、約束どおりけん銃等を差し出してこれも起訴となったのに、肝心の保釈にならなかったことから、E課長代理の言動に不審を抱き、同月九日けん銃等を差し出すようになった経緯等を詳細にしたためた公判担当裁判長宛の上申書を作成し、翌一〇日面会に訪れた二十日会審議委員染野敬にそのコピーを三部作成させ、その一部を知り合いの弁護士に渡すよう依頼して同人に託した。

被告人は、同月一六日の差戻し前の第一審の第一回公判期日で各公訴事実を前面的に認め、検察官請求の証拠も全部証拠とすることに同意してその取調べを終えると共に、再度、門上弁護人から保釈請求をして貰ったが、検察官からは、刑訴法八九条三、四号に該当するとして保釈不相当の意見があり、同月二〇日保釈請求は却下された。門上弁護人は、即時、被告人の病気を理由とする勾留執行停止願いを提出すると共に改めて保釈の請求をし、即日、検察官から保釈について「然るべく」の意見が得られて、被告人は保釈を許可(保証金額は四五〇万円、制限住居は友愛記念病院)され、直ちに保証金を納付して釈放された。

被告人は、同年四月一三日の公判期日に際しても各公訴事実を認めて争わず、そのまま弁論が終結され、同年五月九日ほぼ各公訴事実どおりの犯罪事実により懲役三年の実刑判決の言い渡しがあり、被告人は収監された。被告人は、即日、宇佐美隆彬弁護士を弁護人に選任する手続きをとり、同弁護人から同日控訴申立がされ、同月一一日同弁護人から、「公訴事実については原審より前面的に認めており、証拠隠滅等のおそれは全くなく、将来の服役に備えて公判継続中に病気の治療をさせるとともに、身辺整理をさせておく必要がある。」として保釈請求があり、検察官から不相当の意見があったが、同月一五日被告人は保釈を許可(保証金額は六五〇万円、制限住居は自宅)され、直ちに保証金を納付して釈放された。

そして、被告人は、同年七月二八日右弁護人から東京高等裁判所に提出された控訴趣意書において、本件けん銃等の押収の経緯について争う態度を表明し、以来現在に至るまでその主張を維持している。

(武蔵野警察署における被告人の優遇状況等)

(1)  被告人は、前記のとおり当初自己が代表者となっている有限会社O商で逮捕されたが、その際、E課長代理に対し、「俺もこの地元で組長をやっているから、手錠をかけないでくれ。」と要求し、E課長代理は、その要求に応じた。

被告人は、武蔵野警察署に引致されてからも、E課長代理に対し、「手形の期限があるので、電話をかけさせろ。俺の商売を潰す気か。」などと要求し、E課長代理が、「否認している人間に電話させるわけにいかない。」などと言って拒否すると、被告人は、「はめてやるからな。」などと捨て台詞を言い、E課長代理は、「ここは警察であって、娑婆ではない。親分面はここでは通用しない。」と被告人を叱責したりしたが、結局被告人の要求を受け入れるようになった。

(2)  被告人は、その後、田無警察署に嘱託留置となって、取調べ等のために同署から押送されるようになったが、被告人は、腰痛を理由に単独押送を強く要求し、E課長代理は、人員の手配がつけば、被告人の要求に応じていた。

(3)  また、被告人は、逮捕当初から、「俺は肝臓も悪いし、血圧も高くて、具合が悪い。留置場の飯なんて食えない。」などと言って、留置場の食事に文句をつけ、自費で出前をとって食べるばかりか、同房者にも被告人の費用で出前をとって食べさせ、或は、取調べのため早く留置場から出せと騒ぐなどして看守を困らせるため、E課長代理は、被告人を留置場から出して、被告人に取調室で食事をさせたり、喫煙を許可し、お茶を飲ませるなどした。

また、E課長代理は、差し入れられた被告人の食料を保安係の部屋に置いてあった冷蔵庫内に保管してやったりもした。

(4)  被告人は二十日会の会長をしていたことから、被告人が逮捕されたことが知れ渡るや、会員多数が頻繁に被告人の面会や差し入れに訪れるようになった。例えば、同会相談役Zは、昭和六三年一二月二四日以降、三、四回白菜や寿司等を差し入れに訪れ、保安係取調室で被告人と面会してそれらを食べさせたりし、或はZ自身も、同係の部屋に置いてあった右冷蔵庫内の被告人の食料を食べている。また、Zは、武蔵野警察署の被告人から直接電話を受けたことが一回ある。

二十日会審議委員染野敬は、同年一二月暮れころから六、七回面会に訪れ、その都度保安係取調室で被告人と会って焼き肉やキムチ等を差し入れているが、被告人がそれを食べるばかりでなく、警察官もこれに手をつけ、被告人の同房者が出て来て食べたこともある。染野自身も、その場で飲食したことがあり、平成元年二月一〇日保安係取調室で被告人と面会した際には、被告人から裁判長宛の上申書のコピーを頼まれ、染野は同係のある部屋にいた職員に教わって文房具店へ行き、それを三部コピーして被告人に手渡している。なお、染野が武蔵野警察署にいる被告人から直接電話を受けたのは四、五回になる。

二十日会副会長Nは、前記のとおり被告人から弁護人の依頼を頼まれたが、その折、E課長代理から、「女検事の第一号で、すごい弁護士がいるので、その人を頼みなさい。」と言って、門上弁護士事務所の住所と電話番号を教えられている。Nは都合一〇回位被告人と面会しているが、面会場所は一回を除いて全て保安係取調室であって、一階の接見室で面会したことはなく、被告人と面会した折、その要望に応じて外出して週刊誌や寿司等を買ってきて被告人に渡したりしていた。Nも何回か被告人からの電話を直接受け取っている。

Aは、昭和六四年一月六日に武蔵野警察署から自宅の妻A2に被告人の面会と差し入れに来て欲しいとの電話連絡があったことから、翌七日メロンやおはぎ等を持って面会に行き、一階の接見室で被告人と会い、差し入れの品物は保安係の職員に手渡し、更に、同月一〇日武蔵野警察署から「大事な話があるので、明日面会に来て欲しい。」との伝言が妻A2にあったことから、Aは、翌一一日武蔵野警察署保安係を訪れ、前記(六)のとおり被告人と面会して、けん銃等の入手と隠匿方を依頼された。

他方、被告人の妻甲2は、昭和六三年一二月二八日午前一〇時ころ被告人から保釈許可になったので五〇〇万円持って八王子の裁判所に行って欲しい旨直接電話があり、直ちに現金を用意して東京地方裁判所八王子支部まで赴いたが、裁判所は御用納めで閉庁となっていたため、武蔵野警察署に電話をしたところ、E課長代理から来るように言われたため、武蔵野警察署に行って被告人と面会している。その後、妻甲2が被告人と面会したのは二回にすぎないが、被告人は、田無警察署留置場から武蔵野警察署留置場に移監された後はほぼ一日おき位の割合で直接妻甲2と電話で話しをしている。

(5)  被告人は、前記のとおり昭和六四年一月一二日○○総業事務所で銃砲刀剣類所持等取締法違反等により現行犯人逮捕されたが、その帰路に下着を取り替えたい旨申し出て、E課長代理らとともに自宅に立ち寄り、その折、妻に事前に連絡して用意させておいた食事を自ら食べたほか、E課長代理ら押送警察官にもそれを食べるように勧め、警察官はその食事に手を付けた。

なお、被告人はその押送車両の中でも、痛いと苦情を言って手錠を外させており、右の自宅に戻ったときにも手錠はしていない。

(6)  同年一月下旬ころ、被告人の依頼に応じて、Hが銘酒「越乃寒梅」1.8リットル入り一本を保安係に差し入れ、被告人がY巡査らにそれを飲むよう勧めたところ、E課長代理は、これを直ちに返さずに留め置き、それが問題となった後である平成元年一一月二九日被告人の自宅において木村敏文東京地方検察庁八王子支部検事立会の下に松元健武蔵野警察署保安係長から「越乃寒梅」一本が被告人の妻に返還された。

(7)  また、勾留中の被告人が発熱したため、昭和六三年一二月一九日と二〇日診察のため被告人は病院へ行き、更に、翌年一月一三日、同月一五日、同年二月二〇日にも通院しているが、同月二〇日に三度目の保釈請求を却下された際、門上弁護人から、E課長代理に対し、「執行停止をあんたに頼む以外ない。」と頼み、E課長代理は、同日の診断書が「急性胆のう炎と肝機能障害により外来投薬中であるが、熱と疼痛のコントロールが困難で入院による加療が必要と考えられる。なお、入院は約一か月を要する見込。」との内容であったことから、当時昭和天皇の崩御に伴う警備に追われていたこともあって、門上弁護人の申し出に応ずることにし、担当の宇野博東京地方検察庁八王子支部検事に電話をかけ、右の事情を話して被告人の釈放方を申し出たが、同検事が病院に確かめたところ、さほど被告人の病状は悪くないとの回答を得たことから、同検事がE課長代理を叱責したが、E課長代理は同検事に被告人の病状の悪さを訴え、その後、門上弁護人が同検事に面接して保釈方を依頼し、前記のとおり、同検事は保釈について「然るべく」の意見を出し、被告人は保釈許可となっている。

(8)  同年三月二一日Y巡査と的場巡査が情報収集のためとして、被告人方を訪れたが、その折、両巡査は被告人夫婦や二十日会の会員と前記染野の経営する焼き肉店で飲食を共にしたうえ、転勤が決まっていたY巡査が餞別として被告人から五万円、前記Zから二万円を貰い受けており、その焼き肉店での飲食状況の写真が新聞に掲載されて社会問題となったため、両巡査のほかE課長代理ら上司も行政処分を受けた。

2 裁判所の証拠判断等について

前掲証拠を総合すると、本件の被告人のけん銃等の隠匿所持事件の発生及び隠匿状況等については、以上のとおりに認定できるのであるが、検察官がその証拠関係等についてるる主張するので、以下に、当裁判所の証拠判断等を補足して説明する。

(一)  (隠匿状況)

被告人及びAは、控訴審及び差戻し後の当審公判廷等において、右認定に沿う供述をし、検察官は、右両名の各供述は信用できないとするので、以下に検討する。

(1)  被告人の供述

被告人は、控訴審や差戻し後の当審の公判廷において、概略、次の趣旨を供述している。すなわち

「E課長代理の話にのってけん銃を出そうという気になり、昭和六四年一月一〇日家業上の弟分であるAに武蔵野警察署から電話をかけて、『急用があるから、面会に来てくれ。』と連絡し、翌一一日面会に訪れたAと武蔵野警察署保安係取調室で警察官の立ち会いなしに面会し、『保釈の対象になるような話なんだけども、けん銃一つなんとかならないか。』と言ったところ、Aが、『まあ、手をうってみましょう。』と答えたので、更に、『もし、都合がついたら保安課宛に電話を入れて、どういう所へ隠したかを報告しておいてくれ。』と頼んだ。

翌一二日午前九時過ぎY巡査か髙山巡査部長から、『Aから、けん銃は用意できて例の場所に隠してあるという電話が入った。』と言われた。

そこで、同日午後三時ころ警察官と共に武蔵野警察署を出発し、同日午後五時三〇分ころ○○総業事務所に到着して警察官と一緒に庭先の敷石を起こし、その下から黒色ビニール袋に入ったけん銃と実包を取り出した。」

(2)  Aの証言

Aは、控訴審や差戻し後の当審の公判廷或いは検証現場において、概略次の趣旨を供述している。すなわち

「昭和六四年一月六日午後七時ころ、武蔵野警察署の警察官と思われる人から自宅の妻A2に『被告人に面会と差し入れに来て欲しい。』との連絡があったので、翌七日午前一一時三〇分ころ妻A2と一緒に同警察署を訪れ、果物等を差し入れるとともに、同警察署一階接見室で被告人と面会して雑談をした。

同月一〇日午後七時ころ、再び武蔵野警察署の警察官と思われる人から自宅の妻A2に『被告人から大事な話があるので、明日面会に来て欲しい。』との連絡があり、被告人の妻甲2にその旨を電話で話したところ、同女から差し入れの品物を持って行って欲しいと頼まれたので、翌一一日被告人の自宅に立ち寄ってその品物を預かり、妻A2と一緒に同日午前一一時三〇分ころ同警察署に赴いた。しかし、係の者から午後一時に来てくれと言われたので、午後一時少し前に再度妻を伴って同警察署を訪れ、三階の保安係の部屋に行ったところ、同係取調室に案内され、そこにいた被告人と警察官二人(Y巡査と髙山巡査部長)くらいを交えてしばらく雑談した後、警察官は取調室から出て行き、妻も気をきかして取調室の入口の外に出たところ、被告人から、『警察と取り引きをすることになったので、チャカ(けん銃)を一つ用意してくれ。』と頼まれ、『分かりました。』と答えると、被告人は、『用意したけん銃を事務所の庭の大谷石の下に埋め、それで用意ができたら、そのけん銃の形式とどこにどのように埋めたのかを警察官に連絡するようにしてくれ。』と言った。その後、帰る間際に被告人と警察官との間で、そのけん銃の入手先の話が出て、一人の警察官(Y巡査かも知れない)から、『だれか死んだ人間を使えばいいんじゃないか。』と言われ、そこで被告人から、『A、誰か知らないか。』と尋ねられたので、とっさに身近の者で死んでから何年も過ぎていない東京盛代藤平連合四代目総長Dを思い出して、その名前を被告人に告げた。帰る途中の同日午後四時三〇分ころ被告人の妻甲2に電話をして、『被告人から、警察と取り引きするのでけん銃を用意してくれと言われた。』と話し、同日午後五時ころ被告人の自宅に立ち寄って、被告人から預かったいわゆる宅下げの品物を被告人の妻に渡した。その際、同女から、けん銃について『どうするのか。』と尋ねられたので、『大丈夫です。』と答えた。それで、東京や神奈川、千葉などの知り合い数名に電話をしてけん銃の入手方を問い合わせ、漸く千葉県在住の者から譲り受ける話がまとまり、同日午後一〇時すぎころJR東北線野木駅前でその者と会い、けん銃一丁とその実包二発を受け取った。

そのけん銃は初めて見る形式の物であったため、いわゆるガンマニアの知人Mを自宅に呼んで見て貰ったところ、ソ連製軍用けん銃のトカレフであると言われた。

その後、そのけん銃を油紙で包んで(タオルで包んだかどうかははっきりしない)、更に黒いビニールのごみ袋に入れ、また、実包は一つずつアルミホイルで包んでこれを一緒にし、翌一二日午前零時ころこれを持って妻A2と一緒に自宅を出て自家用自動車で○○総業事務所へ向かったが、途中でシャベルを忘れたことに気づき、同事務所近くのスナック『寿』に立ち寄って、同店経営者の妻Uからシャベルを借り、これを持って○○総業事務所へ行って、同事務所庭先の踏み石(大谷石)の事務所へ向かって左端からシャベルを差し込んで石の下の土を掘って穴をあけ、付近に落ちていた五五センチメートル×二八センチメートル位の薄いベニヤ板(カラーボックスの裏板のようなもの)を手で折って二枚に割り、そのうちの一枚を穴の底に差し込んで敷き、その上にけん銃等が入っている黒色ビニール袋を置き、更にその上に残りの一枚のベニヤ板を差し込んで乗せて、これを埋めた。なお、そのベニヤ板が大谷石の左側に一五センチメートル位はみ出していたので、その上に土やコンクリートの破片をばらまき、更にその上に枯れ葉をまぶして見えないようにした。

同日午前二時過ぎころ、けん銃を隠して準備が整ったことを連絡するため武蔵野警察署に電話をかけたが、Y巡査が外出中と言われたので、更に、同日午前八時ころ再び同警察署に電話をかけて、応対に出たY巡査と見られる男性に、けん銃がソ連製の軍用けん銃で握りの部分に大きい星のマークが丸の中に入っていることとそれを大谷石の左端に埋めたことなどを話したところ、その男性は、『分かりました。』と答えた。」

(3)  被告人とAの各供述の信用性

被告人とAの各供述は、右のとおり、それぞれに具体的かつ詳細なものであって、相互にほぼ一致しているうえ、右Aの供述については、けん銃等の入手先やこれを大谷石の下に埋めた方法について疑問(後記(4)、(5)で検討)がないわけではないが、しかし、①同人の妻A2の当審の公判における証言(「Aとともに武蔵野警察署に赴き、また、○○総業事務所近くまで同行した。」旨の供述)、②被告人の妻甲2の当審の公判における証言(「Aから被告人に頼まれてけん銃を準備することになったと聞かされた。」旨の供述)、③証人Mの当審における裁判所の尋問調書(「Aの家でけん銃をみせられ、そのけん銃がソ連製の軍用けん銃トカレフであると説明した。」旨の供述)、④Uの控訴審の公判における証言(「Aがけん銃を埋めたとする日ころの午前二時ころ同人にシャベルを貸した。」旨の供述)により裏付けられており、E課長代理及びY巡査は、控訴審或いは当審の公判において、被告人やAの前記各供述を前面的に否定し、それらの供述を罪を免れるためのねつ造である旨証言するのであるが、その各証言の内容を子細に比較検討してみても、被告人やAの右各供述を一概に排斥できない。

なお、検察官は、「Aが被告人の舎弟分であることからすると、Aがけん銃の手入れなどを担当していたとしても不自然ではなく、そうすると、Aがスナック「寿」に立ち寄ってシャベルを借りることがあったり、たまたま訪れたガンマニアの友人Mにこれを見せたりすることがあったことも十分考えられるのであり、A2はAの妻であるなど右関係者らの立場等を考慮すると、それらの各証言の信用性は相当程度に低く、その証言内容も、容易に口裏を合わせることができる事柄である。」などと論難するのであるが、しかし、検察官は、Aが被告人の暴力団組内で武器係を担当していたことや各証人が口裏を合わせるなど罪証隠滅工作をしたことを窺わせる立証もしておらず、その論難するところは、結局、検察官の憶測にとどまるものというべきである。

(4)  けん銃等の入手先についてのAの供述について

Aは、前記けん銃等の入手状況について、控訴審の第二回公判(平成元年九月二六日)で前掲の証言をした後、平成二年三月一日から同月三日まで連日検察官から取調べを受け、その際に被告人の妻からけん銃を預かった旨入手先の供述を変更し、その旨の供述調書四通の作成に応じており、検察官は、それをもってAのけん銃等の入手先についての供述は変遷しており、同人の供述は信用できないと弾劾している。

しかし、Aは、右のような供述調書の作成に応じたことについて、当審における第五回公判(平成二年一〇月九日)で、「検察官の取調べは、当時自分が府中刑務所で服役中の身であり、その出所直前で、自分がよそからけん銃と実包を調達したとなると、自分自身も処罰されることになり、出所直後にいわゆる門前逮捕されるのではないかと心配したことや、家出した被告人の妻甲2を自分の妻A2がかくまったところ、自分の妻が被告人から嫌なことを言われており、自分の服役中に自分の妻に対し被告人がしたことは許し難いところがあるので、もはや兄弟分とは思っておらず、被告人の妻甲2もそのことに関して自分の妻A2を庇ってくれなかったことなどから、被告人に義理だてをする必要がないという気持ちになって、検事の意向に沿ったような調書に仕上げてしまった。」旨弁解し、その供述調書の記載内容の真実性を否定して当初の供述に戻っているところであり、確かに、その供述調書の内容を子細に検討すると、「(Aは)被告人からけん銃の調達を依頼され、被告人の妻甲2に電話してその旨を話したところ、同女は、「用意してある。知り合いのところに預けてあるので、それを取ってくるから、待っていて欲しい。」と言うので、被告人の自宅へ行って同女が戻ってくるのを待ち、同女からけん銃等を受け取った。」旨の供述内容になっており、そうすると、なぜ、被告人が、Aにけん銃の隠匿を依頼するときに、警察官の立会もなく二人きりとなったのに、端的に「妻甲2に話をして、けん銃を受け取って、それを隠しておいてくれ。」と頼まずに、よそからのけん銃の調達を依頼するような頼み方をしたのか(仮に右供述調書のとおりとすれば、Aがすぐにけん銃を入手できたのは、たまたま同人が被告人の妻に電話をしたからであり、被告人の妻が被告人とかかわりなくけん銃を入手できたことを窺わせる事情もみられないことからすると、Aがその電話をしなければ、Aがすぐけん銃を入手できるかどうか分からず、その点を被告人は心配しなかったというのであろうか。)、とか、なぜ被告人は、妻甲2や○○総業事務所で電話番をしている配下組員ではなく、Aにけん銃の調達を依頼したのであろうかといった疑問が生ずるのであり、そうだとすると、Aの右検察官に対する各供述調書に記載されたけん銃の入手先についての供述の信用性は肯定し難く、また、Aの公判廷でのけん銃の入手先についての供述も直ちに信用し難いのではあるが、けん銃の入手先が検挙されることを心配して、Aがけん銃の入手状況についてのみ虚偽の供述をしていることも考えられるのであり、このような入手先についての供述の変遷をもって、ほぼ一貫しているAのけん銃の隠匿状況についての供述部分の信用性を直ちに疑うことはできない。

(5)  けん銃等の隠匿状況についてのAの供述について

本件けん銃を警察官が差し押さえた際の状況については、押収してあるベニヤ板一枚(<書証番号略>)、司法警察員作成の捜索差押調書(写真八枚添付のもの)、E課長代理の控訴審及び当審における証言によれば、組事務所に向かって一番左側の大谷石を引き起こすと、そのすぐ下に約二二センチメートル×約二九センチメートル、厚さ約一センチメートルの黒塗りの板が大谷石からはみ出すことなく置かれており、それを取り除くと、その下に黒色ビニール袋に入ったけん銃と実包が置かれていたことになり、そうすると黒塗りの板の存在とその置かれていた位置がAの供述と矛盾し、また、Aの供述するように大谷石の左側からシャベルで掘って、E課長代理が捜索したときのような穴ができるのか疑問が生ずるのであるが、しかし、その捜索差押時の状況について、被告人は、当審において、「○○総業事務所に到着した際、E課長代理は、事務所の方を警戒して降りて来なかったため、自己と中島看守係の二人で車から降りて行って大谷石を取り除いて黒色ビニール袋に入ったけん銃を取り出した。その後で、その場所にライトを向けるため自動車を回転させていたY巡査が車から降りてきた。その後掘り出したけん銃を見た誰かが、『けん銃があった。』と言うと、漸くE課長代理が車から降りてきて、『写真を撮らなければまずい。』と言い出したので、再びけん銃等を包み直して元どおりに埋め戻し、改めて大谷石を引き起こすところからやり直して写真撮影したもので、その時に大谷石が左の方にずれて穴を完全に覆うように置かれてしまったが、本来は、大谷石が右の方にかなりずれていて、穴の左方が大谷石から若干はみ出していた。作業の途中で、(被告人が)『寒い。』と言って中島看守係と一緒に○○総業事務所の二階に上がったところ、E課長代理も続いて上がってきた。」旨供述しており、その供述内容は臨場感に溢れており、前認定のとおり、被告人とE課長代理とは当時かなり癒着し、E課長代理の被告人に対する処遇がいい加減なものとなっていたことを考え併せると、被告人の右供述を信用できないとして直ちに排斥することはできず、その供述に従うと、E課長代理の本件けん銃等の隠匿状況についての証言内容や捜索差押調書の記載のような捜索時の状況をそのまま信用するわけにもいかないのであり、そうすると、Aの供述が右のE課長代理の証言等と食い違うところがあるからといって、これをもって直ちにAの供述の信用性を否定する事由とはし難い。また、前記捜索差押調書及び当審における検証調書によれば、Aは大谷石自体を引き起こして穴を掘ったのではないかという疑いも生じ、同人の供述に疑問が持たれるのであるが、しかし、警察官の補充捜査によりAがけん銃を埋める際に使用したという薄いベニヤ板二枚がその現場の穴から発見されていること(その発見経過については疑問なしとしないのであるが。)からすると、Aが第三者に手伝わせたことを秘匿するために嘘をついているのではないかとも考えられるが、そうだとしても、本件のけん銃等を自ら隠匿したことを供述するAの証言の信用性までは否定し去ることはできない。

(二) (警察官と被告人の取り引きの状況について)

被告人は、けん銃等を提出したきっかけはE課長代理との取り引き等にある旨弁解し、検察官は、被告人の言う取り引きにまつわる弁解が被告人及びAら事件関係者がねつ造した虚構であると主張するが、関係証拠を総合すると、その取り引きなるものの実態は、前記のとおりに認定できるのであり、それは、なんとしても保釈を得たいとして策謀する被告人と覚せい剤事犯の捜査より事実上高い評点を与えられるけん銃の捜査に執拗な熱意を燃やした取調べ警察官の相互の駆け引きと、これに伴う取調べ警察官の迎合による便宜供与や優遇が、その結果として、被告人をしてそのけん銃等所持の外形事実の虚像(これにも取調べ警察官の示唆と協力が関与しているのであるが…)を作り出させたものであって、本件は単なる取調べ警察官からの違法な取り引きによるけん銃等の提出という一般的に言われている違法収集証拠事件とは趣を異にするものである。

ところで、検察官は、E課長代理の証言に依拠して、けん銃等は被告人が任意に提出したものである旨主張するが、しかし、起訴されればその判決において決して有利な量刑とはならず、むしろかなり加重された実刑となることが確実であるけん銃を被告人が警察に差し出すからには、被告人なりの損得計算をしたうえでのことと見ざるを得ない。この点について、検察官は、被告人が保釈許可になることを求めて自らけん銃等を差し出すことにしたと主張している。確かに、被告人の狙いが保釈にあったことは間違いないのであるが、しかし、被告人がいかに保釈を求めることに性急であったとしても、けん銃を差し出すことにより確実に保釈になるとの見込があったればこそ、これに踏み切ったのであり、その見込がなければ被告人も自己にとって著しく不利となるけん銃等の提出には及ばなかったものと考えられることや被告人がE課長代理からけん銃の提出は任意ではなく強制捜査ですることになり担当検事も代わると聞かされるや、話が違うとしてその後けん銃の件で取調べを受けるのを強く渋っていた様子からすると、被告人とE課長代理との間に何らかの話し合いができていたことは明らかであろう。それにもかかわらず被告人が自発的にけん銃を差し出すと言い出したというE課長代理ら警察官側の証言は直ちに信用し難く、被告人の取り引き状況に関する供述が責任逃れのための弁解の側面をもつことは否めないにせよ、E課長代理や門上弁護人らの証言にかいまみられる被告人の言動等その他関係証拠を子細に検討すると、前示のとおりの被告人とE課長代理らの相互の駆け引き等に端を発する取り引き状況等を認定できるのである。

(三) (被告人に対する武蔵野警察署における優遇措置等について)

武蔵野警察署におけるE課長代理による被告人の処遇状況についても、前掲証拠を総合すると、前記のとおりに認定できるのであり、E課長代理らが被告人を格別に優遇するようになったのは、当初、配下多数を抱える暴力団組長である被告人が警察官らに対し横柄な態度をとり、これに手を焼いたためではあるが、しかし、それに安易に迎合した警察官の軽率さは非難されるべきであり、これが本件のいわば架空の被告人のけん銃等所持事件を引き起こしたものといえる。

3 (本件けん銃の被告人の所持罪の成否)

前認定事実によれば、①被告人は、覚せい剤事犯で検挙されたことを糊塗するとともに保釈許可となるのを期待して、留置中の被告人を格別に優遇し、かつ、けん銃を出すように唆してきた捜査担当のE課長代理に迎合して、本件けん銃等を差し出すことにしたこと、②被告人は、そのけん銃を所持していなかったことから、舎弟分のAに調達をさせ、当初はAが調達してきたけん銃を、そのまま誰かに持って来させて、E課長代理に差し出すつもりでいたこと、③ところが、検察庁からの指示があって、けん銃を差し出す方法が被告人からの任意提出ではなく、強制捜査としての捜索差押によることになり、そのためAが調達したけん銃は、一旦被告人の組事務所である○○総業事務所に置いて、被告人が隠匿所持していた形にする必要が生じたこと、④既に○○総業事務所はE課長代理らにおいて強制捜査をしており、その際、けん銃などを発見していなかったことから、そのような捜査の不手際の問題を避けるため、同事務所庭先の踏み石の下をけん銃の隠匿場所にしたこと、⑤Aは、被告人が警察と取り引きをして警察に差し出すものであることを了解して、けん銃等を調達し、それを被告人の指定した○○総業事務所の庭先の踏み石の下に隠した後、これを速やかに武蔵野警察署保安係に連絡していること、⑥Aから右の連絡があったことから、E課長代理は、そのけん銃等を強制捜査の方法により差し押さえるため、直ちに、必要な書類を作成するなどして武蔵野簡易裁判所へ令状請求をし、同裁判所裁判官から発付を得た捜索差押許可状を携えて現地に急行し、到着するとともに右けん銃等を捜し出して押収しているのであり、その隠匿時間は午前二時ころからその日の午後五時一〇分ころまでの約一五時間ではあるが、Aが隠匿した時間帯及びその隠匿場所やAが武蔵野警察署に連絡をとり、E課長代理が令状請求手続きをとって捜索差押許可状を入手し、その後武蔵野市から栃木県下都賀郡野木町まで捜査車両で行くのに時間を要したこと等を考えると、右けん銃などの隠匿状態が、専ら警察官にこれを押収させるという目的を超えて決して不当に長く放置されていたとはいえない。一方、被告人は警察に留置中の身であって、起床後いつものように午前九時ころから取調べが始まった際に警察官からAが約束どおりけん銃等を隠匿したことを告げられ、そのけん銃等を警察に提出する旨の答申書を作成するなどし、その答申書等に基づく捜索差押許可状の発付を待ち、警察官に同行されて武蔵野警察署から○○総業事務所まで警察車両で押送されているのである。そうすると、確かにけん銃等の隠匿場所が被告人の支配する暴力団組事務所敷地内であって、そこへの隠匿も被告人の指示によるものであるとはいえ、右のけん銃等の隠匿は警察官と被告人とが癒着して作出した被告人のけん銃等所持の外形を整えるためだけのものにすぎず、被告人がAにそこへ隠匿させたのも結局は、専ら警察官に押収の形式をとらせるためであって、これをもって被告人が本件けん銃等を現実に自己の実力支配下に置いたものとは言い難く、従って、○○総業事務所敷地内に隠匿された本件けん銃等を被告人が所持したものとは認められない。

そうすると、前記一掲記の公訴事実については、主位的訴因及び予備的訴因とも、犯罪の証明がないことに帰するから、刑事訴訟法三三六条後段により被告人に対し無罪の言い渡しをすべきものである。

よって、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官長﨑裕次 裁判官林潔 裁判官島田睦史)

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